なかじーのせかいかん

「なかじーのせかいかん」をご愛読いただき、ありがとうございます。このブログに書いてあるのは「正しい意見」ではなく「なかじーが考えたこと」の記録です。



【3M→2Y】世界を変えると共に豪語した仲間達へ

このブログが「自分に向けたものだ」と思った人は、その通りです。

あなたに向けたものです。

 

3/31にフィリピンから帰国し、まだしっかりとフィリピンでの経験も話していないから、少しここに書こうと思います。話していないというよりも、そもそも全然誰とも会っていなかったのですが。お忙しいあなたのためにまず端的に書くと、「僕の体重は10キロ痩せた」という事実に全てが含まれているでしょう。

 

1/13にフィリピンに旅立ちました。6回目ではありますが、今回見たあの国はいつもと違う顔だった。今までの5回は例えるなら「セブは化粧をしていた」けど今回は「すっぴんを見せられた」という感じでしょうか。つまり、表も味わえば同時に裏も味わった。

フィリピンって、セブでこんなに辛い経験をする場所だっけ?というようなことを日々思った。

 

一番辛かったのは、衣食住かもしれない。「生活する」ということの難しさを知った。特に海外だから、なみなみならぬストレスがある。きっとセブ最高!!という語学学校生は「あと数週間で素晴らしい国、JAPANに帰国できる」ことを前提にして最高なのだと思う。かつての自分もそうだったから。このリアルな生活の厳しさは僕だけじゃなくて、しばらくセブに住んでいる方や、海外に住まれている方は共感していただけるとこではないかと思う。

 

0からドリームコンテストを始めたのは9月。今となっては無駄な時期なんてないと思えるが、セブにいるときはそうではなかった。全くもって計画通りにはいかず、今までしてきたことは机上の空論でしかなかったと肩を落とす毎日だった。セブの数多くの協力者がいなかったら120%成功はしていなかった。今でも思うことはこれで、自分の力はあまりに無力だった。本当に本当にどこまでも無力だった。笑うことしかできなかった。逆に笑うことはできた。

 

一方、ドリコンを通じて学んだことも数多い。まず、「美容の力は半端じゃなくすごい」ということ。数週間だが、会うたびに綺麗になって、自信に満ち満ちていく姿は凄まじかった。「整形したのかな」と思うほど。自分よりもエネルギッシュにそしてHAPPYに過ごす彼女たちに元気をもらっていた。モチベだった。学んだことは多いけど、そのどれも前提として凹んだことは否めない。成長と思えなければ、そこで終わることばかりだった。

 

このセブでの経験を具体的に書けないことには理由がある。これはきっと共に頑張ったメンバーも同様に思うことだと思う。それはブログで書くことじゃない。聞こう。

 

3/31に帰国し、僕は多くを失った。というより投げ捨てた。一番は「家」。

この約2週間弱をホームレスとして過ごした。それはヤドカリ生活。この期間は僕にとっては凄く幸せで、次へのステップを踏む良いきっかけになった。改めて振り返えることができた。僕はこの一種の挫折を経て思う言葉があった。ざっくりと「世界を変える」こと。今厳密に思うことは「変えるよりも、もっと増やす」ことが大切と思っているが、いずれにしてもこの世界を~という豪語に違和感を感じていた。本当に本当にこのままでいいのだろうか。セブにいた怪物を僕は、僕らは倒していけるのか疑問に思った。この思考の間、僕は多くの方を避けてきた。

 

「3ヶ月後、フィリピンから帰って来たら会おうぜ!それまでお互い頑張ろう!」と何人にも話してきたからこそ抱く疑問だった。本当に僕は自信をもって「みんな!大丈夫!大変だったけど、じゃんじゃん夢叶えていこう!世界だ!」と今まで以上の自信を持って言えただろうか。言えなかった。世界は驚くほどに広くて、大きくて、そして怖かった。

 

凄く怖かった。

 

僕はその辺の学生団体の代表で、少しビジネスに手を伸ばしただけ。その中に得意なことや苦手なこと、たくさんあったけど、世界にはノミ以下でしかなかったと思う。

 

えげつない、と思われるほどじゃなければ戦えないだろうなと思った。夢、理想が大きいからこそ、それを本気で叶えるには本気じゃなくちゃいけない。

だから、僕は決めた。

 

当分はきっかし離れて修行するべきだ。今までとは次元の違う世界に単身乗り込んで、レベルを変えなきゃいけない。じゃないといつまでも理想が理想のままだと思った。2年。多くの人はきっと就活やら、もう就職とかしている時期かもしれない。でもそれまでの学生期間はもう「学生じゃない」期間でなくちゃいけない。2年、僕は先延ばしにしようと思う。

 

それまでに、お互い驚くほど大きくなっていたい。

ひっそりと着実に踏ん張っていきたい。

 

その頃にはきっと会って分かる。

頼もしくワクワクしていきたい。

 

 

フィリピンを経ての僕の決断。

長文、見づらい形式ではありますが、読んでいただき、ありがとうございました。

ブログは必要な時に続けていきますが、もうシェア等をこのブログでするつもりはありません。

 

ひとまず、今までありがとうございました。

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桜はいつも夢や青春といった青臭いことを思い出させてくれる

久々です、なかじーです。

 

3/28の大きな大きなイベント「Miss Dream Contest in CEBU」を終え、今帰国して約1週間が経とうとしています。僕が伝えたいことの多くは、実はこのコンテストではなくてこのコンテストの前後にあります。今日はコンテスト後、そして帰国後のこと。

 

手を取り合ってはまた..

帰国して成田から都心に向かう最中、とてもよく桜が見えた。そこは千葉だったけど、それは都心でみる桜や仙台でみる桜とはなんら変わらない桜だった。それは凄くありがたいことで、僕にとって桜は記憶の桜であるから、いつも大切なことを思い出させてくれる。

 

今回セブ島に行っていたメンバー、そして長い時間共にしてきたコアメンバーとはしばしお別れで、また会うと分かっていても悲しいものがあった。高橋優さんの曲「現実という名の怪物と戦う者たち」の歌詞にこんなフレーズがある。

「いつまでも一緒にいられるわけじゃないことはなんとなく分かっているけれど、今は手を取り合える」

まさにこのような心情で、バラバラの道を歩むんだなと左右桜満開の電車の中で思った。

 

今回のメンバーに限らない。長くセブ島に行っていたことで、4月からの宿を決め損ね、その成田からの電車の行く先は無かった。なんとも心優しい友人や後輩たちに助けられ、泊めてもらっている。そこで何人か懐かしい人物と会って話すことがあった。

 

 

今この瞬間も走っている。その事実が糧になる

彼らと話して思うことは、数年前に僕は必ずその一人一人の夢を聞いていたはずで(夢じゃないにしろ将来を考えていた)、その道かもしくはまた違う道に今はみんな走り出していた。これはとても感きわまることだった。その人の道を振り返り、自分が知らないストーリーだけどそのスタートとゴールは知っている。この感覚が自分に勇気をくれる。

 

連絡をあまりとっていない人も数多いけれど、周囲から聞く噂は夢一直線。きっとみんなお互いに夢を叶えたらまた豪快に笑いながら次の夢を語り合うのだろうな、と思う。

スタートの4月は不思議な月。そわそわする。

 

いつか誰かがふと「あれ、中島ってやついなかったっけ」とか思いながら、興味もないくせに「中島賢太」と調べ、このブログを見つけ、読み、あいつも頑張ってるんだなと心にしまい、また前進してくれたら嬉しいなと思う。

 

 

努力の過程、プロセスを知ってしまったけれど、それを本人に言わないで見守り、糧にすることこそきっと美学なんだ。

 

そんなことを思っている間、きっと僕は桜を見ていた。

【感動力】貧困層と僕ら

「ここらの貧困地区の子は支援を受けることに慣れて、目が肥えてしまっているから..」

メイクのワークショップをマクタン島で行った時に、そこでずっと住んで日本食レストランを経営している方に言われた一言だった。ボランティア活動とか国際協力とかに興味がなかったからこそ、その時の僕には刺激が強すぎた。どんな人間でも慣れるものは慣れるし、欲が張ることは同じなのだろう。

 

メイクのワークショップに来た子たちは目が肥えていない子が多かったように思える。純粋無垢で素直な女の子たちだった。でもこの子たちと同じ年齢でも、支援に慣れている人もいればもっと純粋な子もいると思うと、ぞっとした。

 

側からみると、支援されても初心を忘れずに感謝だ!とか、もっとありがたみを感じた方が良い!とか簡単に言えるわけだけど、実はそんなことを思いつつも彼らよりも目が肥えて初心を忘れていたのは自分たちであったことに気がついた。それは企画がうまくいき始めた頃だったと思う。

 

 

「支援」と「協賛」、「貧困層と僕ら」

今回のMiss Dream Contestには多くの方の協力をいただいています。本当にありがとうございます。何もわからない僕らを助けてくれた方がセブにも日本にもたくさんいて、感謝しきれないほどです。

 

こう思う事が常かと問われれば、容易く頷けるわけでもなかった。

いろいろな面で協力してもらい、だんだんと当たり前の感度が上がっていった。心の中では「そのくらいしてくれよ、ボランティアなんだから」とか思ってしまうことも時にはあって、完全に初心に戻ることを忘れていた。他人が手を差し伸べてくれるその奇跡への感動がどんどん薄れていっていた。一番の武器であったかもしれない僕らの「感動力」は日に日に薄れていってしまった。

 

海外に出て、たくさんの大人がいて、いろいろな人間がいて。その中で絶対的な武器は「貧困層の女の子並みの感動力と素直さ」でしかなかったのに、いつしか「支援慣れした目の肥えた貧困層の子」になっていた。外的要因の奇跡への感動はなくなり、その程度のことが日常になってしまった。

 

 

初心を思い出す

当日本番に流す動画を作っていた時、この企画が始まった初期の画像や動画を見ていた。その姿は初々しく、笑顔で、感動しているシーンばかりだった。編集するはずがみると止まらない。何もなかった自分たちに手を伸ばしてくれる方がそこにはたくさんいて、僕らは本当に多くの方に支えられてきたことを思い出させてくれた。

 

振り返れば自分が忘れていることはとても多い。初心にかえることはとても大切。でも初心にかえることを覚えておくことも大切で、この過ちを二度と繰り返さぬように生きていこうと思う。

 

 

前日にして

書けばきりのないほどたくさん学び、感じ、経験しました。いよいよMiss Dream Contestも前日です。思っていたよりも規模の大きな、そして豪華なイベントになりそうです。それは先述したとおり、多くの方のおかげなんです。心にしみこませながら、明日へ、そしてその先に向かっていこうと思います。

 

んじゃ!

 

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【アタマの言葉とココロの言葉】春は大きな変化を迎える季節であり、そして迷いの季節。

変化の季節

現在3月17日、もうすぐ今年度が終わる。それに伴い、多くの大学生の活動内容に変化が訪れる季節である。入学生や卒業生はガラッと変わり、新2・3・4年生は区切りを一つのきっかけに新たな道へ出向く。現在3月17日、なんらかの決断を迫られている人は少なくない。それは今の有意義な活動を続けていくか、辞めるか。はたまた新たな活動を加えるか、削るか、である。多くは自分のGOALがあって、それに足りないものを見つけていくことと思う。

 

例えば、海外で働きたいと思っていて、語学力が必要なので海外に旅立つ。とか、会社に入って早く出世したいからエクセルを学ぶ、とか。それは様々だし、それを否定するつもりは一切ない。

 

むしろ大抵僕が疑問に感じるのは、どんな人に憧れる?とかどんな人になりたい?理想のオトナとは?など聞くと、矛盾が生じるケースである。

 

 

「なんか魅力的」と思われること

尊敬する人を2、3人浮かべてもらい、その人の尊敬する点や凄い所を言ってもらうと、面白いことがわかる。大抵の人は、尊敬する人の人間味とか人の気持ちがわかるとか、「なんかすごい!」と思ってしまうような形のないものに惹かれることが多い。尊敬する人のここがすごい!というポイントで、英語がペラペラだからとか、エクセルめちゃできるから、などという人はほぼほぼいないのである。

 

だったら、あなたも「なんか魅力的」と思われるような人になったらいいのにと思う。これはその人がもしなんらかの能力をつけたいとか、成長したいとかの話である。人間的に魅力的になった方が、色々な面白い人に会えるし、もっと魅力的な人と話せる。

 

なんかよくわかんないけど魅力的というのは、語学力やエクセルができることと同じスピード、レベル感では絶対に身につけることができない。より深く感じ、多くを経験してやっと少しずつ魅力が増していくものとなる。それに形がないものだから、自分ができ始めているのかどうかが分からない。TOEICとかの指標はないのだから。そして、それは頭で考えるものではなく、心で感じるものなのだと思う。

 

 

アタマの言葉とココロの言葉

僕はどうして人が他の誰かを尊敬するときに、大抵言葉にしにくい形としてないものを羨み、憧れるのか考えた。その結論は一つしかない。

 

感動するときにココロを使う、というのがシンプルな答えで、アタマはなかなか使いにくい。やはり人に訴えかけ、人を動かすのはココロであり、最後の最後でアタマの方が動くというのはない。ココロの言葉は、相手のココロに響く。アタマの言葉は相手のアタマにしか届かないものなのである。

 

頭で身につける能力は意外と早く身に付けられる。でも、心で身につける能力は数日数週間では不可能である。でもものすごく重要なのだ。

 

 

 

ココロがある人間と、底にはない人間

現在3月17日、セブ島にいると多くの人に会う。また、日本からの連絡が絶えない。新しい出会いは国境を越えてあらゆるところからやってくる。そしてすぐに分かる。この人はココロがない人間だな〜とか、ココロがある人だな素敵だなとか。

 

ココロがない人間はないことに気づいていない気がする。

 

中学2年生の時いじめられてた経験、部活でいじめられた経験、新たなコミュニティに入ると大体いじめを食らうこの性格。これが僕にココロをくれた気がしている。最近思うことは辛いことも後に感謝することになるのだなと。

そしてもっとココロある人間になりたい。

 

 

未来、そうありたく思い、綴る。

 

【死と向き合う】天国へ旅立った愛犬が教えてくれたことを忘れないために綴る

一生忘れたくはないこの日

3月9日フィリピン時間にて19時、母親から1通のメールが届いた。

 

そこには10年間家族として共に生きた愛犬ラッキーが天国へ旅立ったと書かれていた。

こんなに近い距離で死と向き合うことは初めてだった。

1日経って今思うことは、この10年間のラッキーとの思い出と3月9日のこの日を絶対に忘れないでおきたい、ということ。

 

なので、しっかり綴ります。

 

「ジャック」が良かった

僕が10歳の時、家に犬がきた。ペットなんて買ったことなかったから、新鮮だった。犬種はパピヨン。耳が蝶々のように大きく開いた小型犬である。

オスでカッコよくわんぱくに走り回る元気な犬だった。

 

当時ハマってたブラックジャックに影響を受けていることを必死に家族に隠しつつ、僕は「ジャック」って名前にしようよ、と言った。

でも呼ぶときにジャックって言いにくくない?伸ばし棒があったほうがいいよ!と言われ、ふと出たラッキーと名付けられた。もちろん呼びやすさに間違いはなかった。

 

 

彼との日々

彼は本当にわんぱく悪ガキ少年だった。小さい頃には異物を飲み込んじゃったこともあったし、それで手術しても元気だった。すぐ高いところに登っては、降りれなくなった彼を何回笑っては睨まれたことか。抱っこしようとすれば噛まれる。家族の中では僕は特に特になつかれてなかった。なめられていた。

 

でもおばあちゃんの家に行くと、僕に似てかビビリだからすぐ僕の胸に飛んでくる。人見知りなのかな。ツンデレというかなんというか、そんな彼だった。

 

そして彼は元気なまま年齢を重ねていった。

 

彼との思い出はあまりにも多くて語りきれないし、心の中に留めておきたいので、この辺で。

 

 

彼が教えてくれたこと

つい最近、1ヶ月前くらいに家族から連絡があった。そこには「家族が増えました!」との報告。新しい犬を買ったらしい。確か、ミニチュアのプードル?かな?僕はまだフィリピンで会ってないけど、大量に送られてきた写真を見た。

 

ラッキーは10年間生きた。彼は旅立つ時、どんな気持ちだったのだろうとずっと考えた。多分こうなんじゃないかな。

きっとこうだといいな。「あ、新しい家族が来た!どうやら僕と同じイヌかもしれない。彼が中島家の皆を支えてくれるから、僕の役目はもう終わりだ。安心して彼に任せることができる。良かった。良かった。」

わからないけど、きっとこう思ってると思う。わんぱくながらも、ツンデレの彼だったから。

 

これから、3月末に開くドリームコンテストも3月29日には終わっているわけで、第一回としてのドリコンは死を迎える。他にも、色々な人や物、こと全てにはちゃんと終わりがある。だから、だからこそ安心して次の誰かへバトンを継いでいきたいなと思った。上の方々にしてもらったことは、良いところを何十倍にもして継いでいきたいなと思った。生と死は裏返しだから。

 

セブで会う方々によく言われることがある。

「ありがとうございます、いつかこの恩は返します!」というと、「うん!でも、僕らにじゃなくて君らの後輩に返すんだよ?」と言われる。

川のように流れていくのだろう。

 

それを彼の死を通して十分感じ取った。

 

 

中島家が彼に幸せを与えれたかは、本当のところは分からない。

でも、確かなのは、彼は家族だったってこと。

彼は中島家に幸せをくれた。

 

ありがとう、ラッキー。ありがとう。

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