桜はいつも夢や青春といった青臭いことを思い出させてくれる
久々です、なかじーです。
3/28の大きな大きなイベント「Miss Dream Contest in CEBU」を終え、今帰国して約1週間が経とうとしています。僕が伝えたいことの多くは、実はこのコンテストではなくてこのコンテストの前後にあります。今日はコンテスト後、そして帰国後のこと。
手を取り合ってはまた..
帰国して成田から都心に向かう最中、とてもよく桜が見えた。そこは千葉だったけど、それは都心でみる桜や仙台でみる桜とはなんら変わらない桜だった。それは凄くありがたいことで、僕にとって桜は記憶の桜であるから、いつも大切なことを思い出させてくれる。
今回セブ島に行っていたメンバー、そして長い時間共にしてきたコアメンバーとはしばしお別れで、また会うと分かっていても悲しいものがあった。高橋優さんの曲「現実という名の怪物と戦う者たち」の歌詞にこんなフレーズがある。
「いつまでも一緒にいられるわけじゃないことはなんとなく分かっているけれど、今は手を取り合える」
まさにこのような心情で、バラバラの道を歩むんだなと左右桜満開の電車の中で思った。
今回のメンバーに限らない。長くセブ島に行っていたことで、4月からの宿を決め損ね、その成田からの電車の行く先は無かった。なんとも心優しい友人や後輩たちに助けられ、泊めてもらっている。そこで何人か懐かしい人物と会って話すことがあった。
今この瞬間も走っている。その事実が糧になる
彼らと話して思うことは、数年前に僕は必ずその一人一人の夢を聞いていたはずで(夢じゃないにしろ将来を考えていた)、その道かもしくはまた違う道に今はみんな走り出していた。これはとても感きわまることだった。その人の道を振り返り、自分が知らないストーリーだけどそのスタートとゴールは知っている。この感覚が自分に勇気をくれる。
連絡をあまりとっていない人も数多いけれど、周囲から聞く噂は夢一直線。きっとみんなお互いに夢を叶えたらまた豪快に笑いながら次の夢を語り合うのだろうな、と思う。
スタートの4月は不思議な月。そわそわする。
いつか誰かがふと「あれ、中島ってやついなかったっけ」とか思いながら、興味もないくせに「中島賢太」と調べ、このブログを見つけ、読み、あいつも頑張ってるんだなと心にしまい、また前進してくれたら嬉しいなと思う。
努力の過程、プロセスを知ってしまったけれど、それを本人に言わないで見守り、糧にすることこそきっと美学なんだ。
そんなことを思っている間、きっと僕は桜を見ていた。