【アタマの言葉とココロの言葉】春は大きな変化を迎える季節であり、そして迷いの季節。
変化の季節
現在3月17日、もうすぐ今年度が終わる。それに伴い、多くの大学生の活動内容に変化が訪れる季節である。入学生や卒業生はガラッと変わり、新2・3・4年生は区切りを一つのきっかけに新たな道へ出向く。現在3月17日、なんらかの決断を迫られている人は少なくない。それは今の有意義な活動を続けていくか、辞めるか。はたまた新たな活動を加えるか、削るか、である。多くは自分のGOALがあって、それに足りないものを見つけていくことと思う。
例えば、海外で働きたいと思っていて、語学力が必要なので海外に旅立つ。とか、会社に入って早く出世したいからエクセルを学ぶ、とか。それは様々だし、それを否定するつもりは一切ない。
むしろ大抵僕が疑問に感じるのは、どんな人に憧れる?とかどんな人になりたい?理想のオトナとは?など聞くと、矛盾が生じるケースである。
「なんか魅力的」と思われること
尊敬する人を2、3人浮かべてもらい、その人の尊敬する点や凄い所を言ってもらうと、面白いことがわかる。大抵の人は、尊敬する人の人間味とか人の気持ちがわかるとか、「なんかすごい!」と思ってしまうような形のないものに惹かれることが多い。尊敬する人のここがすごい!というポイントで、英語がペラペラだからとか、エクセルめちゃできるから、などという人はほぼほぼいないのである。
だったら、あなたも「なんか魅力的」と思われるような人になったらいいのにと思う。これはその人がもしなんらかの能力をつけたいとか、成長したいとかの話である。人間的に魅力的になった方が、色々な面白い人に会えるし、もっと魅力的な人と話せる。
なんかよくわかんないけど魅力的というのは、語学力やエクセルができることと同じスピード、レベル感では絶対に身につけることができない。より深く感じ、多くを経験してやっと少しずつ魅力が増していくものとなる。それに形がないものだから、自分ができ始めているのかどうかが分からない。TOEICとかの指標はないのだから。そして、それは頭で考えるものではなく、心で感じるものなのだと思う。
アタマの言葉とココロの言葉
僕はどうして人が他の誰かを尊敬するときに、大抵言葉にしにくい形としてないものを羨み、憧れるのか考えた。その結論は一つしかない。
感動するときにココロを使う、というのがシンプルな答えで、アタマはなかなか使いにくい。やはり人に訴えかけ、人を動かすのはココロであり、最後の最後でアタマの方が動くというのはない。ココロの言葉は、相手のココロに響く。アタマの言葉は相手のアタマにしか届かないものなのである。
頭で身につける能力は意外と早く身に付けられる。でも、心で身につける能力は数日数週間では不可能である。でもものすごく重要なのだ。
ココロがある人間と、底にはない人間
現在3月17日、セブ島にいると多くの人に会う。また、日本からの連絡が絶えない。新しい出会いは国境を越えてあらゆるところからやってくる。そしてすぐに分かる。この人はココロがない人間だな〜とか、ココロがある人だな素敵だなとか。
ココロがない人間はないことに気づいていない気がする。
中学2年生の時いじめられてた経験、部活でいじめられた経験、新たなコミュニティに入ると大体いじめを食らうこの性格。これが僕にココロをくれた気がしている。最近思うことは辛いことも後に感謝することになるのだなと。
そしてもっとココロある人間になりたい。
未来、そうありたく思い、綴る。