なかじーのせかいかん

「なかじーのせかいかん」をご愛読いただき、ありがとうございます。このブログに書いてあるのは「正しい意見」ではなく「なかじーが考えたこと」の記録です。



今日、僕は最高のご褒美をもらった。

二つの

久々に前のブログを立ち上げてみると、ログイン画面から入力まで何もかもが懐かしく感じる。今は全然ちがうブログを運営してるからこそ、違和感があるのかもしれない。

 

一応僕の中では、自分が感じたことや思ったこと、一生忘れたくないことはこのブログに、今やっている東南アジア向けマーケティングはこちらに、という感じで運営している。


二つのブログは僕の言葉としては同じ「ブログ」であるが、全くもって中身もちがう。どちらがいいとかではなく、それぞれにぞれぞれの良さや味がある。

 

今日は二つの学生団体と大きく関わる機会があった。その中で感じたことを綴ろうと思う。

大きく関わったといっても、片方は一方通行のメッセージ(以下、「前者」とする)で、もう片方は元メンバーの二人と飲んだだけ(以下、「後者」とする)である。僕にとっては大きな出来事がいくつもあった。

 

やれることはすべてやったと言いたいのか

2015/3/31、僕は帰国した。フィリピンでの大きなイベントを終えたからだ。それとともに前者から退団し、OBとなった。正直このイベントの期間だけいると言っていたし、関わっていたわりに通常ミーティングにいっていたわけでもない。振り返れば自分の好き嫌いで各々のタスクを背負っていたのではないかと反省した。ただそれ以上に反省すべきことはもっと他にあったのかもしれない。

 

僕は以前代表をしていた団体を辞める際に、次の世代が活躍するまで必ず今までとはちがう方法で(主に励ましくらいしかできることはないが)、見守ると決めた。それからは何かあれば声をかけてきたつもりだし、相談されれば夜中でものっていた。前者の団体で僕は代表でもなんでもない。いわゆる派遣社員みたいなものである。そんな輩が辞める際に後の子を見守るなんて、少しずれていると思っていた。こう見えて結構葛藤していた。

 

「やれることはすべてやったといいたいのか」という言葉が飛び込んできたのは数日前だった。全く関係ない事柄についてだったけど、ふと僕は前者への気持ちにこの言葉をはめ込んだ。

 

国際協力は(僕は全然詳しくないし、知らないけど)、どうやら複雑なものだということをフィリピンでのイベントで理解した。本当にこの協力が目の前の子供や困っている人にとって良いのか、考えたらきりがない。非常に難しい問題である。ただあくまで詳しくない僕から言わせてもらえば、それはあなたの自己満の言い訳じゃないか、ということだ。しゃらくせーまず助けようと、と。

 

東日本大震災被災した際、いじめられてた時、本気で困っている時はすごく苦しいし、なんでもいいから助けてよ!!と思ってしまう。誰だってどうなのではないだろうか。少なくとも僕はそうだった。

 

国際協力や震災、いじめとは少しずれているかもしれないが、僕の勝手な理由と思い込みでやれることをすべてやっていないのは言い訳ではないかと思った。前者のメンバーにとって僕のそんな思い込みは関係あるのだろうか。うるせーなんでもいいから良いアドバイスならくれよ!!と思うのではないか。そんなことを考えてたら急に自分が恥ずかしくなり、思うことをつらつらと書き始めた。

 

前者のメンバーが結論どう思ってたかは知らないし、今メッセージを受けてどう感じているかは分からない。でも少なくとも僕は勝手に前者から学ばさせてもらった。ここにてそのお礼を申し上げたい。ありがとう。

 

「勇気」を与える人生

今日は過去を振り返りたい日だったのか、僕が代表をしていた団体(後者)にいたメンバー二人と会うことになった。男、女、僕の三人で渋谷の居酒屋に入った。男とはあけましておめでとう、今年初めて会った。後者のメンバーは正直ぶっとんでいる人が多い。だから僕の考えや思うことはぶつけやすい。ぶっとんでるからなんでも言えるという感覚。思わず心に引っかかり続けている「大学」について思うことを述べていた。

 

このブログで以前述べたかもしれないが、色々夢や目標がある中で直近の目標がある。それは30歳までに見知らぬ人から感謝の手紙を受け取ることである。内容は「あなたの生き方を見て、夢に向かおうと思えました。そして今日、その夢が叶いました。ありがとうございます。」といった内容である。そのためには僕は素直に生き、世論と戦うこともあるかと思う。

 

それを踏まえた時に、今自分がすべき決断はなんなのか迷っていた。そして彼と話していて、一つの結論にたどり着いた。別に辞めるわけでもなんでもないが、今は心にそっとしまおうと思う。ただ、その刺激を与えてくれた彼に深く感謝したい。ありがとう。

 

 

縁の下の力持ち、の話

女とは2年の付き合いになる。僕が後者に入った時、彼女はもういた。初めて会った時、1年生だった彼女は4年生に見えたのを覚えている。数十人いた団体は盛り上がっていたが、数ヶ月後、夏が来ると共に縮小していった。5人。だいたい5人くらいだったと思う。部屋の暑苦しさは消え、寂しさだけが残った。そんな夏だった。

 

あの時の辛い気持ちを凄く覚えている。でも皆ネガティブにはならなくて、あくまでも前向きだった。いつかまた大きな団体にしてやると心に秘めていた。正直ポジティブでいられたのは彼女のおかげといっても過言ではない。踏ん張りきれて、春、メンバーは20人を超えた。夏には100人を超えるイベントもできたし、文句無しに成長した。辛い時期を共に乗り越えた、皆強くなっていた。

 

秋、皆それぞれやりたいことができて、また後者が縮小しかけていた。申し訳ないが、僕も顔を出す頻度は下がっていたと思う。その頃、彼女は僕に「3月に辞めるかも〜」と話してくれた。まだまだやれると思った僕は、来年の夏まで一緒にやってほしい、と告げた。彼女は正確に承諾はしなかった、でも彼女の曖昧な返事はOKとなんとなく知っていたから、安心していた。

 

学ぶ者と、学ばぬ者

秋が過ぎ、冬が来ると共に僕は後者を辞めた。とても嬉しい辞め方だった。確かこのブログの初記事がそれに関する記事だったと思う。今思えば嬉しさの影には破られた約束があったと思うと心が痛い。

 

彼女は約束通り、まだ後者にいる。そして僕は今日気づいた。「なんでまだいるの?」とまで聞いてしまった僕はもはやどうしようもない。

 

彼女はいつものテンション高い声とは違って、静かな声で話した。「あの時のさ、皆が流れて辞めていく感じ、なんか嫌じゃん」自分はあの時の感情を忘れてしまったのかと思うと情けなくなった。あの時の僕が今の僕を見たらきっと怒るだろうな、というかもう呆れるだろうな。

 

何も学んではいなかった自分。

学んだことをすぐに活かすのは簡単である。でも数年たち、感情が変わると忘れてしまっていた。確かに色々な形でサポートはしていたつもりだけど、そこまで考えての、とは少し違った。何よりそもそも約束を破ってるのが申し訳ない。

 

その後も淡々と今の後者の状況を話す彼女の目を見れなかった。
反面、すごくすごく嬉しかった。偉そうに言えば、彼女がとても成長していたこと。心が強く、優しくなっていた。

 

彼も彼女も大きく見えた。自分の中で大切にしていたことを忘れていた。
もっとやれることがある、と。そう思った。

 

彼女にもここで感謝したい。ありがとう。

 

 

長くなりました。今日1日、生きた気がします。
別に最近生きてなかったとかそんなんではないけど、久々の空気に触れて、仲間に触れて、色々蘇る日でした。そう思わせてくれた、前者と後者の存在に感謝しています。

 

僕なりの応援しかできませんが、これからも頑張ってください。

僕も、頑張ります。頑張りましょう。

 

久々のブログでした。