なかじーのせかいかん

「なかじーのせかいかん」をご愛読いただき、ありがとうございます。このブログに書いてあるのは「正しい意見」ではなく「なかじーが考えたこと」の記録です。



下積みってなんだろうって話

2016年のこのブログは、端的に!なかじーです。

 

あけましておめでとうございます。

今更だけど。。

今年も宜しくお願いします。

 

 

下積みってなんだろう

下積みって聞くとどんな印象を覚えますか?

 

薄暗いボロい部屋で、ギリギリのお金でやりくりして、それでもやりたいことのために時間を割いて、、うまくいく日を毎日描いてる。

ついこの間までそんな印象を僕は持ってました。

 

 

でも思えば、実家暮らしの人で毎月生活できて少し遊べるお金もあって、やりたいことに時間も割いて、、という人もいるわけで。じゃあそうゆう人たちが下積みはないのかというと、そうでもないなって思うんです。逆も然りで、薄暗いボロい部屋で、ギリギリのお金でやりくりして、、それでも下積みになっていない人もいると思うんです。

 

 

結論、「下積み」って、環境とか条件によるものじゃないというのが僕が持ってる答えです。どれだけシーンとした部屋で布団にくるまって、独り、部屋で涙を流したか、だと思いました。

 

THE下積み!な環境でも、スマホを握り、様々なSNSで孤独を解消して生きていたら下積みにはなっていなくて。THE下積み!のような環境でなくとも、独り部屋で孤独と向き合い、歯を食いしばっていれば、十分下積みなのかなと。

 

ホリエモンこと堀江さんが、下積みなんて必要ない!とおっしゃるのは、自分のやりたいことしたいことをしていても、悲しきことはいつまでも自分についてくるから、そこで立ち向かい、独り枕を濡らせば良い、という意味もあるんじゃないかなって勝手に思ってます。

 

環境や条件が下積みの本質ではなく、悲しきことを抱きしめていけるか、が本質なのかなと。

 

ああ!もう限界!って思う日なんていくらでもあって、1日でもいいから「今日は孤独に耐えてみよう」と思い立てば、翌朝、また少し強くなった自分がそこにはいると思うのです。

 

 

悲しきことも抱きしめて、今年も元気に生きていこう!

 

 

んじゃ!

夢を追うことは、、

めっちゃ久々!なかじーです!

 

さて、もうすぐクリスマスからの年末年始ですね!そろそろどう過ごすか決め始めた頃でしょうか。バタバタする前に少しずつ色々な角度から振り返ろうと思い、考えた結果、今年言われた事や見た言葉でグサグサッ!と刺さった言葉を元に振り返ろうかと思います。

 

題して、

グサッときた言葉で振り返る2015年!!

全部で5つあるんですが、今日は1つ目!

早速いってみましょーう!

 

夢を追う事は、、

夢を追う事は楽しい事だけじゃないよ。挫折だってあるし諦める人も出てくるし。

みんなに夢を持たせるには自分が夢を叶えて幸せな姿を見せないとね。

 

振り返る事2年半前、フィリピンで出会った子の「僕には夢がない」という一言で僕にはより大きな夢が出来ました。不可能な事なんてないんだってこと、夢を持つことで人生は広く美しさを帯びるんだということを背中で伝えたい、と思うようになりました。そう思ってから走り続けてきました。

 

今年は夢を追う事、好きな事をし続ける事は必ずしも幸せなことだらけじゃないということを身をもって感じた年だったように感じます。

やっぱ難しいこと、苦しいことはあるし、分からないことだらけで悩んでしまったり。頭のどこかで分かってはいたけれど、夢を持つこと=幸せしかないは違うなと。

 

そんなむむむ、となっていた時に友人から言われた一言。

f:id:kentanakajima:20151210164942p:plain

 

確かに夢を追うことは楽しさとかポジティブなものばかりではない、むしろ諦める人もいる。だから、だからこそ自分が乗り越えて幸せな姿を見せる。

 

グサッときて、また走り続けれるなと感じた一言でした!

 

ちなみに僕の大好きなマンガ、『キングダム』の主人公・信も、敵を破り敵の夢を破り、それを越えて一緒に叶えていく姿勢を見せてるんです。

matome.naver.jp

読んでみてください!笑

 

 

ちなみにちなみに、好きなアーティストの一人SPYAIRというバンドがあるんですが、上の言葉がグッとくるなら、好きになると思うので、是非聞いてみてくーださい!

www.youtube.com

 

2つ目の言葉は『プロフェッショナル 仕事の流儀』より!

男性必見!

んじゃまた!

「産む」ってすごい!

こんにちは、久々の投稿、なかじーです。

 

片付けが苦手で部屋が散らかってる友達の部屋が結構キレイになってて、驚いて急にどうしたのか聞くと、掃除の仕方を変えたそうです。

ただ捨てるのではなくて、捨てたら捨てた物をノートに記していくんだそう。

  • 鉛筆3本
  • レシート10枚
  • ビール缶2本

こんな感じでしょうか。

これだけで何が変わったんだろう!と思い、気になりました。

僕は疲れたり悩んだりすると、ノートいっぱいに色々書いてみることが多く、書いた後は意外とすっきりしてるのですが、これらってなんか一緒な気がすると思い、巡らせてみました。

 

行き着いた先は、産むことってすげーなと。人間、なんで生きてるのかと問えば一つ、繁栄!路線の回答を用意できますが、まさにそれで自分が何かを産み出すことはその量質問わず(自分自身にとって)価値あるものなのだと感じました。

 

物を捨てていくのではなく、捨てていくことを記録し、断捨離ノートを産む。産み出すことの方が何倍も楽しいはずで、続けれるんだろうなと。

 

もっと簡単に「産む」ことをすれば、辛い時に友達に話をするだけで楽になれるのは言葉や感情を産み出し、それが相手に価値のあるものかどうかは置いておいて、相手がリアクションする度に、「あ、自分はやはり産んだのだ」と気づくことで自分が楽になる、ような気がします。

相手に価値あるかどうかは問題ではなくて、自分が産めているのかどうかを知る方が自分を楽にするのかなと思います。

 

それが他者にとって嬉しいものありがたいものだと、より産んだことを実感し、続けていこうと思えるし、続けていけるだけの(経済的な)体力が産まれるのかなと思います。

 

産むことってすげえな!!

 

おわり

いてもたってもいられない時に読んで欲しい記事

ある子供は初めての誕生日を迎えましたが、8歳でした。な〜ぜだ、なかじーです。

 

 

誰だって、いてもたってもいられない時ってありますよね。例えば、全然思ったようにうまくいかなくて、イライラしてる時。思いがけない目にあってしまい、しょげている時。または、突然クイズを出されたのにもかかわらず、答えを教えてもらえない時、でしょうか。

様々なケースがありますが、いてもたってもいられない時、つまり「それ」はどれも自分の予想の範疇を超えた時に起こるのではないでしょうか。

あ、安心してください、クイズの答えは一番下に書いておきます。

 

突然「それ」は訪れる

僕のもとにもよく「それ」が訪れます。あの感覚は独特です。「それ」と出会った事がない人がいれば是非紹介して欲しいです。

僕は「それ」から見つからなかった事はありませんが、「それ」と向き合う方法を知っていました。昔先輩から教わったものです。

 

・「それ」が来た時は、まずは冷静になる。

・頭で考えるから、どんどん「それ」は大きくなる。だから紙とペンを用意する。

・自分の不安や悲しみ、「それ」がやってきた理由を片っぱしから書き出す。

・「それ」の根本原因は、実は1~2個しかないことを理解する

・根本原因を分解し、一つ一つ潰していく

 

ざっとこんな感じです。
僕は極度の心配性なんですが、心配や未来への不安はいつもこれで解決していました。取り組む前と後では世界が異なるのです。これさえ行えば、なんだって解決できる!

 

一昨年までの僕はそう思っていました。

 

 

「それ」は成長し続ける

昨年学んだことの一つに「それ」は成長し続けるということがありました。
人間、不思議と一回起こったことには慣れるもので、二度目三度目は平気で対処していきます。ただ、新しいものは意識してしまうからでしょうか、常に「それ」は現れ、進化し、成長した自分自身をも越えていきます。

何歳になっても、なかなか「それ」を打ち払うことができないものです。

 

昨年、僕は特にそう感じることが多かったのです。色々とありました、今までとは違った種類のものを抱えていたかもしれません。その時に思いました、自分の予想外の事が積み重なり、キャパを越えると、紙とペンを用意して「それ」と向き合う気力すらなくなるのです。

 

その時僕は爆発寸前でした。まだ出会った事のない「それ」だったからです。冷静になれば、解決できるものが全くもって解決できない。そんなメンタルでした。「それ」と戦うHPもMPもなかったのです。


僕は思わず、知り合いの経営者の方に連絡していました。ミスコンを通してとても面倒をみてくださった方です。彼は忙しい中僕に付き合ってくれました。上から目線になっていたらとても申し訳ないのですが、本当に色々な困難をくぐってこられたかたなのだろうなと思ってます。
いつも一通のメッセージで状態を見抜いて、アドバイスしてくれます。それはとても本質的なアドバイスかつ、気持ちの乗っかったものです。それはきっと本人が体験したことから生まれるものだと思います。

 

今回も彼にメッセージを送ると、例によって「あーなるほどね、今来れる?」と返信がくるのです。返信が来た時点で少し元気になった自分を一過性のものと認め、わざと少し沈んだ顔で会う僕も例によっていました。

 

カラオケとバッティングセンター

普段彼はカフェやオフィスに連れて行ってくださり、話を聞いてくれるのですが、今回ばかりは違いました。

 

彼は僕をカラオケに連れていってくれました。30分間です。なぜカラオケなのかが釈然とせず、若干もやもやしていましたが、きっと何か理由はあると信じ、全身全霊でうたいました。
彼は、僕の想像の2億倍張り切って歌っていました。声は完全に枯れてました。気迫が凄かったです。てかもう気迫でした。そのものでした。

僕も普段に増して声を出し、その一瞬一瞬に気持ちを乗せて歌いました。Greeeensekai no owari歌いました。キーが高くて、気迫が少し直線ではなかったけど、自己満足度は高かったです。

 

30分間のカラオケで汗をかくとは思っていませんでした。凄く楽しくて、真っ白に燃え尽きた気分でした。ただ、未だになぜカラオケなのかが釈然とせず、若干もやもやしていました。

 

カラオケを出ると彼はオフィスとは反対の方向に歩き始めました。そして、今どんな気分か聞かれたのです。汗掻くほど全力で歌いました、と思った通りに告げると彼はカラオケに行った理由を教えてくれました。

 

一瞬一瞬を集中する

彼が教えてくれたのは、他のことを忘れてしまうほど集中できる仕事以外の手段を何個もっているかが大切と教えてくれました。

つまり、だらだらと考え、悩み、嫌な気持ちを蔓延させつつ、何もできない。何もしたくない。と思考が拡大していく前に、パッと思い切り忘れてしまうほどの何かをしろ、ということでした。

 

確かにカラオケで歌っているときは、凄く歌うことに集中していて、声も出していて、他のことを考える余裕なんて全くありませんでした。気づけば30分間全く「それ」のことを考えていなかったのです。おかげで凄く凄く冷静になれました。「それ」との距離ができたのです。

 

この後は、バッティングセンターに行き、何本打てるか競いました。ストラックアウトで何枚抜けるか競いました。確か僕の記憶だと、バッティングは負けてストラックアウトは勝ちました。笑

 

本気で打って、投げて、その一瞬一瞬目の前のことに集中する。終わってからはもう何も怖くありませんでした。冷静な自分がいるからです。「それ」はもう頭の中で増幅しません。消えることはありませんが、むやみに僕を襲うことはなくなったのです。

 

この教訓は忘れることができません。今でもよく一人でカラオケやバッティングセンターにいくことだってあります。

 

目の前のことに集中し、一旦「それ」と距離を取る。これが「それ」の増幅を無くすのであれば、みなさんが普段から『ストレス発散』といって行うこともこれとほぼ同じではないでしょうか?

 

脳死と嵐

僕は今でもこの手の相談をされたときはカラオケに人を連れて行きます。ただ、ブログで書こうとは思いませんでした。なんとなく、忘れていたのかもしれません。良いことですね。笑

 

ただ、先日面白い記事を二つ見かけまして、この記事を書こうと思いました。
是非紹介させてください。

一つ目は、logmiさんのこの記事です。

logmi.jp

 

タイトルを見た瞬間に言いたいことが全て伝わってきました。タイトルになっている割に、話のボリュームは大きくないので、引用します。

 

でもね、本当に私ね、週末40km走るんですよ。なんでかって言うと、脳死したいからなの。止めたいんですよ。じゃないと、四六時中、夢にまで会社のこと見てるから。そこで、ワークライフバランスってどうやって取ったらいいのかわからない。

中途半端に5時に引き揚げてきました。家の中で心配で、仕事してるわけ。四六時中、「ここにべったり張り付いた、何これ?」みたいな。それでね、無理だと思ったの。

 

吉田さんの場合は週末40kmのランニングだそうです。色々な形があるんですね。
さすがに僕はそこまでの体力ないので(逆に後々凹みそう)、カラオケです。笑

 

どんな形でも良いのですが、脳死させる手段をいくつか持っておくと良いと思います。経営者の方の多くがよくジムに行かれるのもこのような理由が一つではないかなと思います。

 

もしあなたが今「それ」に襲われているなら、友人を誘ってカラオケに行ってみてください。バッティングセンターに行ってみてください。脳死してみてください。

 

そこから「それ」と向き合おう。

 

二つ目の記事はあまり関連性がないのですが、こちらです。

getnews.jp

 

※僕はTABILABOさんの記事で読んだのですが、まあいいでしょう

こちらは心理テストなんですが、やってからここから下を読んでください。

 

 

 

いいですか?

 

 

 

いいですか?

 

 

はい。

 

 

特に5問目が面白いなと思ってて、数人に試したらみんな性格通りで、当たるな〜と。それだけです。自分を理解することも大事だと思います。

 

 

 

あ、序文のクイズですが、、、

閏年にも例外がある、というのがヒントです。

 

それではまた。

今日、僕は最高のご褒美をもらった。

二つの

久々に前のブログを立ち上げてみると、ログイン画面から入力まで何もかもが懐かしく感じる。今は全然ちがうブログを運営してるからこそ、違和感があるのかもしれない。

 

一応僕の中では、自分が感じたことや思ったこと、一生忘れたくないことはこのブログに、今やっている東南アジア向けマーケティングはこちらに、という感じで運営している。


二つのブログは僕の言葉としては同じ「ブログ」であるが、全くもって中身もちがう。どちらがいいとかではなく、それぞれにぞれぞれの良さや味がある。

 

今日は二つの学生団体と大きく関わる機会があった。その中で感じたことを綴ろうと思う。

大きく関わったといっても、片方は一方通行のメッセージ(以下、「前者」とする)で、もう片方は元メンバーの二人と飲んだだけ(以下、「後者」とする)である。僕にとっては大きな出来事がいくつもあった。

 

やれることはすべてやったと言いたいのか

2015/3/31、僕は帰国した。フィリピンでの大きなイベントを終えたからだ。それとともに前者から退団し、OBとなった。正直このイベントの期間だけいると言っていたし、関わっていたわりに通常ミーティングにいっていたわけでもない。振り返れば自分の好き嫌いで各々のタスクを背負っていたのではないかと反省した。ただそれ以上に反省すべきことはもっと他にあったのかもしれない。

 

僕は以前代表をしていた団体を辞める際に、次の世代が活躍するまで必ず今までとはちがう方法で(主に励ましくらいしかできることはないが)、見守ると決めた。それからは何かあれば声をかけてきたつもりだし、相談されれば夜中でものっていた。前者の団体で僕は代表でもなんでもない。いわゆる派遣社員みたいなものである。そんな輩が辞める際に後の子を見守るなんて、少しずれていると思っていた。こう見えて結構葛藤していた。

 

「やれることはすべてやったといいたいのか」という言葉が飛び込んできたのは数日前だった。全く関係ない事柄についてだったけど、ふと僕は前者への気持ちにこの言葉をはめ込んだ。

 

国際協力は(僕は全然詳しくないし、知らないけど)、どうやら複雑なものだということをフィリピンでのイベントで理解した。本当にこの協力が目の前の子供や困っている人にとって良いのか、考えたらきりがない。非常に難しい問題である。ただあくまで詳しくない僕から言わせてもらえば、それはあなたの自己満の言い訳じゃないか、ということだ。しゃらくせーまず助けようと、と。

 

東日本大震災被災した際、いじめられてた時、本気で困っている時はすごく苦しいし、なんでもいいから助けてよ!!と思ってしまう。誰だってどうなのではないだろうか。少なくとも僕はそうだった。

 

国際協力や震災、いじめとは少しずれているかもしれないが、僕の勝手な理由と思い込みでやれることをすべてやっていないのは言い訳ではないかと思った。前者のメンバーにとって僕のそんな思い込みは関係あるのだろうか。うるせーなんでもいいから良いアドバイスならくれよ!!と思うのではないか。そんなことを考えてたら急に自分が恥ずかしくなり、思うことをつらつらと書き始めた。

 

前者のメンバーが結論どう思ってたかは知らないし、今メッセージを受けてどう感じているかは分からない。でも少なくとも僕は勝手に前者から学ばさせてもらった。ここにてそのお礼を申し上げたい。ありがとう。

 

「勇気」を与える人生

今日は過去を振り返りたい日だったのか、僕が代表をしていた団体(後者)にいたメンバー二人と会うことになった。男、女、僕の三人で渋谷の居酒屋に入った。男とはあけましておめでとう、今年初めて会った。後者のメンバーは正直ぶっとんでいる人が多い。だから僕の考えや思うことはぶつけやすい。ぶっとんでるからなんでも言えるという感覚。思わず心に引っかかり続けている「大学」について思うことを述べていた。

 

このブログで以前述べたかもしれないが、色々夢や目標がある中で直近の目標がある。それは30歳までに見知らぬ人から感謝の手紙を受け取ることである。内容は「あなたの生き方を見て、夢に向かおうと思えました。そして今日、その夢が叶いました。ありがとうございます。」といった内容である。そのためには僕は素直に生き、世論と戦うこともあるかと思う。

 

それを踏まえた時に、今自分がすべき決断はなんなのか迷っていた。そして彼と話していて、一つの結論にたどり着いた。別に辞めるわけでもなんでもないが、今は心にそっとしまおうと思う。ただ、その刺激を与えてくれた彼に深く感謝したい。ありがとう。

 

 

縁の下の力持ち、の話

女とは2年の付き合いになる。僕が後者に入った時、彼女はもういた。初めて会った時、1年生だった彼女は4年生に見えたのを覚えている。数十人いた団体は盛り上がっていたが、数ヶ月後、夏が来ると共に縮小していった。5人。だいたい5人くらいだったと思う。部屋の暑苦しさは消え、寂しさだけが残った。そんな夏だった。

 

あの時の辛い気持ちを凄く覚えている。でも皆ネガティブにはならなくて、あくまでも前向きだった。いつかまた大きな団体にしてやると心に秘めていた。正直ポジティブでいられたのは彼女のおかげといっても過言ではない。踏ん張りきれて、春、メンバーは20人を超えた。夏には100人を超えるイベントもできたし、文句無しに成長した。辛い時期を共に乗り越えた、皆強くなっていた。

 

秋、皆それぞれやりたいことができて、また後者が縮小しかけていた。申し訳ないが、僕も顔を出す頻度は下がっていたと思う。その頃、彼女は僕に「3月に辞めるかも〜」と話してくれた。まだまだやれると思った僕は、来年の夏まで一緒にやってほしい、と告げた。彼女は正確に承諾はしなかった、でも彼女の曖昧な返事はOKとなんとなく知っていたから、安心していた。

 

学ぶ者と、学ばぬ者

秋が過ぎ、冬が来ると共に僕は後者を辞めた。とても嬉しい辞め方だった。確かこのブログの初記事がそれに関する記事だったと思う。今思えば嬉しさの影には破られた約束があったと思うと心が痛い。

 

彼女は約束通り、まだ後者にいる。そして僕は今日気づいた。「なんでまだいるの?」とまで聞いてしまった僕はもはやどうしようもない。

 

彼女はいつものテンション高い声とは違って、静かな声で話した。「あの時のさ、皆が流れて辞めていく感じ、なんか嫌じゃん」自分はあの時の感情を忘れてしまったのかと思うと情けなくなった。あの時の僕が今の僕を見たらきっと怒るだろうな、というかもう呆れるだろうな。

 

何も学んではいなかった自分。

学んだことをすぐに活かすのは簡単である。でも数年たち、感情が変わると忘れてしまっていた。確かに色々な形でサポートはしていたつもりだけど、そこまで考えての、とは少し違った。何よりそもそも約束を破ってるのが申し訳ない。

 

その後も淡々と今の後者の状況を話す彼女の目を見れなかった。
反面、すごくすごく嬉しかった。偉そうに言えば、彼女がとても成長していたこと。心が強く、優しくなっていた。

 

彼も彼女も大きく見えた。自分の中で大切にしていたことを忘れていた。
もっとやれることがある、と。そう思った。

 

彼女にもここで感謝したい。ありがとう。

 

 

長くなりました。今日1日、生きた気がします。
別に最近生きてなかったとかそんなんではないけど、久々の空気に触れて、仲間に触れて、色々蘇る日でした。そう思わせてくれた、前者と後者の存在に感謝しています。

 

僕なりの応援しかできませんが、これからも頑張ってください。

僕も、頑張ります。頑張りましょう。

 

久々のブログでした。